大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和56年(ワ)14609号 判決

原告

熊本ヨシエ

被告

共栄火災海上保険相互会社

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金五四八万円及びこれに対する昭和五六年六月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一)日時 昭和五二年五月一七日午後四時五〇分ころ

(二) 場所 福島県いわき市内郷綴町一之坪六〇番地先三叉路型交差点

(三) 加害車 訴外草野忠彦運転の普通貸物自動車(福島四四ね四二八五号)

(四)被害車 訴外亡熊本亀吉(明治四二年二月二四日生)運転の原動機付自転車

(五) 態様 加害車は本件交差点にさしかかり、対向直進してくる大型貨物自動車をやり過ごして右折進行しようとしたのであるが、その際後続の直進車はないものと軽信して進行したため、折から右大型貨物自動車の後方から対向直進してきた被害車の発見が遅れ、被害車を加害車左前部に衝突させた。

2  死亡の結果

訴外亡亀吉は、本件事故により脳挫傷、頭蓋骨々折、右上腕骨折、頭部挫傷等の瀕死の重傷を負い、直ちにいわき市立総合磐城共立病院に入院し、開頭術、内外減圧術、脳室、腹腔連絡術、頭蓋形成術の各治療を受け、同年一〇月五日いわき市立常磐病院に転医し、知能指数測定不能、見当識障害、脳波恒常性異常、歩行起立不安定、麻痺状態のまま治療を受けてきたが、昭和五四年三月六日神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し終身労務に服することができないものとして、後遺障害別等級第三級第三号の認定を受けた。なお、訴外亡亀吉は、右同日福島家庭裁判所いわき支部において禁治産の宣告を受け、同宣告は確定している。

しかし、訴外亡亀吉は、治療の甲斐なく、植物人間のような状態において次第に全身が衰弱し、心不全を併発して、同年一二月一一日午後七時一七分ころ、いわき市立常磐病院において本件事故のため死亡するに至つた。

3  責任原因

(一) 訴外水野建設株式会社(以下「訴外会社」という。)は、本件事故当時加害車を所有し、自己のために運行の用に供していたものであるから自賠法第三条の運行供用者責任がある。

(二) 被告は、本件事故当時訴外会社との間において、加害車につき自賠法第一一条に基づく自動車損害賠償責任保険契約を締結しており、加害車による交通事故が発生した場合、その被害者に対し、自賠法第一六条第一項に基づき保険金額の限度において損害賠償額の支払をなすべき義務を負つていた。

なお、本件事故当時の自賠責保険金額は、死亡に至るまでの傷害による損害につき金一〇〇万円、死亡による損害につき金一、五〇〇万円であつた。

4  損害

(一) 医療費金七〇一万二、〇三〇円

本件事故当日から昭和五三年七月三一日(症状固定日)まで四四一日間のいわき市立総合磐城共立病院及び同市立常磐病院における医療費である。

(二) 入院看護料金八一九万五、五〇一円

昭和五二年六月一〇日から昭和五三年七月三一日まで四一七日間は家政婦二名の付添費用金四二四万九、五一九円同年八月一日から昭和五四年一二月一一日まで四九八日間は家政婦一名の付添費用金二五三万七、四八二円を要したほか、昭和五二年五月一七日から昭和五三年七月三一日まで四四一日間は原告及び訴外熊本寛(原告とその前夫との間の長男)が、同年八月一日から昭和五四年一二月一一日までの四九八日間は原告がそれぞれ付添い、その付添費は一人一日当り金一、五〇〇円を相当とするから金一四〇万八、五〇〇円が近親者付添費となる。

(三) 栄養費、雑費金六〇二万二、六四八円

昭和五二年五月一七日から昭和五三年七月三一日まで四四一日間分が金三八四万九、二五八円、同年八月一日から昭和五四年一二月一一日まで四九八日間分が金二一七万三、三九〇円であり、雑費はおむつ代、氷代、洗濯代、理髪料、診断書作成料等である。

(四) 入院室料差額金二二九万七、五〇〇円

昭和五二年五月一七日から昭和五四年一二月一一日までに要した入院室料差額である。

(五) 交通費金五四万〇、六一〇円

原告は、付添看護のため前記病院と自宅を往復し、その交通費として金三〇万二、六五〇円を支出し、訴外熊本寛は、原告の代行者として病院、警察、訴外日動火災海上保険相互会社等との折衝に当り、諸手続を行い、その交通費として金二三万七、九六〇円を支出した。

(六) 入院慰謝料金四六九万五、〇〇〇円

訴外亡亀吉は、死亡するまで計九三九日間入院しており、その慰謝料額は日額金五、〇〇〇円と認められるべきである。

(七) 死亡慰謝料金四〇〇万円

訴外亡亀吉は、本件事故当時原告と二人暮らしで健康状態は良好であり、時折植木関係の仕事や山菜採り、魚取りなどしていたことから、死亡慰謝料は金四〇〇万円を相当とする。

(八) 逸失利益金三八一万〇、三八五円

訴外亡亀吉は、本件事故当時六八歳の健康な男性であり、平均月額金一四万六、七〇〇円(年額金一七六万〇、四〇〇円)の収入を得られた筈であるから、就労可能年数五年、生活費五割、ライプニツツ係数四・三二九として算定すると、逸失利益は金三八一万〇、三八五円となる。

(九) 葬儀費金五〇万円

原告は、葬儀費として最低見積額金五〇万円を支出した。

(一〇) 近親者慰謝料金一五〇万円

訴外亡亀吉の死亡による原告の固有の慰謝料として金一〇〇万円、養子訴外熊本正(昭和三七年二月一五日養子縁組届出)の固有の慰謝料として金五〇万円を相当とする。

5  原告の損害賠償請求権

(一) 訴外亡亀吉の相続人は原告と訴外熊本正の二人であつたところ、昭和五五年二月五日両者間に本件事故による損害賠償請求権につき、原告が全部単独で相続し、かつ訴外熊本正の前記慰謝料請求権も原告に譲渡する旨の協議がなされた。

しかして、本件事故については訴外亡亀吉にも一割の過失があつたから、これを控除すると、原告の取得した損害賠償請求権の金額は金三、四七一万六、三〇六円となる。

(二) 原告は、昭和五五年四月福島地方裁判所いわき支部に対し、訴外会社及び訴外草野忠彦を被告として、本件事故による損害賠償請求の訴を提起したところ、昭和五六年一月一二日同裁判所において、前記損害金三、四七一万六、三〇六円及び被害車の損害金七万二、〇〇〇円並びに弁護士費用金七〇万円の合計金三、五四八万八、三〇六円から、被告の支払つた自賠責保険金一、〇五二万円及び訴外日動火災海上保険相互会社の支払つた任意保険金一、四一五万六、八二九円を控除した金一、〇八一万一、四七七円の支払を認容する判決が言渡され同判決は確定した。

そこで、原告は、昭和五六年五月二九日被告に対し、自賠法第一六条第一項に基づき、死亡の場合の自賠責保険金限度額である金一、六〇〇万円から既払分を控除した残金五四八万円の支払を求めた。

6  よつて、原告は被告に対し金五四八万円及びこれに対する履行期の到来したことの明らかな昭和五六年六月一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1の事実中、(一)ないし(四)は認め、(五)は不知。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実は不知。

5  同5(一)の事実中、訴外亡亀吉に過失のあつたことは認め、その余は不知、同(二)の事実中、原告が訴を提起し、金一、〇八一万一、四七七円の支払が認容されたこと、自賠責保険金一、〇五二万円が支払われていること、原告から自賠責保険金の請求があつたことは認める。

6  被告の主張

(一) 原告主張の福島地方裁判所いわき支部における損害賠償請求訴訟において認容された損害額のうち、訴外亡亀吉の死亡による損害は次のとおりである。

(1) 被害者本人の死亡慰謝料 金四〇〇万円

(2) 近親者固有の慰謝料 金一五〇万円

(3) 逸失利益 金三八一万〇、三八五円

(4) 葬儀費用 金五〇万円

(5) 過失相殺額(一割) 金九八万一、〇三八円

(6) (1)ないし(4)の合計額から(5)の額を差し引いた額 金八八二万九、三四六円

(7) 弁護士費用 金一七万七、六六〇円

700,000×8,829,346/34,788,306=177,660

(8) (6)(7)の合計額 金九〇〇万七、〇〇六円

(二) 自賠法施行令第二条第一項第一号に定める死亡した者について支払うべき保険金額は、イ死亡による損害(ロに掲げる損害を除く。)につき一、五〇〇万円、ロ死亡に至るまでの傷害による損害につき金一〇〇万円とされていたところ、被告は既に、傷害分として金一〇〇万円、後遺障害分として金九五二万円を支払つている。

ところで、既に後遺障害による損害が支払われた後に被害者が死亡した場合には、その支払われた損害額は死亡による損害分に充当されると解すべきであるから、本件における訴外亡亀吉の前記死亡による損害金九〇〇万七、〇〇六円はすべて填補済となる。

三  被告の主張に対する原告の反論

原告主張の損害は、いずれも単一の本件死亡事故による損害であり、被告主張の(1)ないし(4)の項目のみが本件死亡による損害というのは誤りである。被告の主張は、交通事故の被害者の救済を徹底しようとした社会保障制度としての自賠法が定めた死亡事故の損害賠償限度額金一、六〇〇万円(当時)の適用を不当に免れようとするものであり、死亡事故として人的損害に弁護士費用を加えて金一、〇七三万四、四九二円の支払を命じた前記確定判決の既判力を実質的に潜脱しようとする違法な解釈を前提とするものである。

すなわち、原告主張の人的損害はすべて一個の不法行為によつて発生した一個の損害賠償請求権の中味を構成するものであり、自賠法施行令が「死亡による損害」と「死亡に至るまでの傷害による損害」との二種類に区別して規定していることは確かであるが、死亡に至るまでの医療費、看護料などが如何に多額になつた場合でも、それは「死亡に至るまでの傷害による損害」に過ぎないと杓子定規に解して、「死亡による損害」の保険金額の枠の残額があるのにこれを使つてはならないとするのは、自賠法の目的に実質的に反し、訴訟物理論にも背理するものといわざるを得ないのである。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因1(一)ないし(四)の事実及び同2、3の事実は当事者間において争いがない。

同4(一)ないし(一〇)の各損害の主張が、原告の訴外会社及び訴外草野忠彦に対する福島地方裁判所いわき支部昭和五五年(ワ)第七〇号損害賠償請求事件における判決の理由中において認容された損害項目及び損害額に基づいていることは、成立に争いのない甲第一号証によつて明らかである。

二  ところで、自賠法第一三条第一項は、「責任保険の保険金額は、政令で定める。」と規定し、これを受けて自賠法施行令第二条が具体的な保険金額を定めているが、同条第一項第一号によれば、死亡した者についての本件事故当時の保険金額(昭和五三年政令第二六一号による改正前のもの。)は、イ死亡による損害(ロに掲げる損害を除く。)につき金一、五〇〇万円、ロ死亡に至るまでの傷害による損害につき金一〇〇万円とされていた。

本件における争点は、右イ、ロに区分された保険金額を相互に流用できるかという点にある。

すなわち、「死亡による損害」とは、被害者の死亡自体によつて生ずる損害をいい、葬儀費用、逸失利益、死者本人の慰謝料、遺族の慰謝料等がこれに該当し、「死亡に至るまでの傷害による損害」とは、死亡までに時間的間隔がある場合の治療費、付添看護費、休業損害、入通院慰謝料等をいうものと解されるから、前記判決に基づいて主張する原告の損害項目及び損害額を前提にする限り、訴外亡亀吉の「死亡による損害」は被告の主張(一)のとおりになるといわざるを得ない。そして、原告が自賠責保険から既に金一、〇五二万円(傷害分として金一〇〇万円、後遺障害分として金九五二万円)の支払を受けていることは当事者間に争いがなく、後遺障害による損害が支払われた後に被害者が死亡した場合には、後遺障害による損害は死亡による損害に充当されると解すべきであるから、結局原告は、既に金九五二万円の死亡による損害の支払を受けているものとみなされる。してみると、訴外亡亀吉の「死亡による損害」はすべて填補済であり、原告が支払を受けていない損害は、「死亡に至るまでの傷害による損害」になる。そこで、原告は、「死亡による損害」の保険金の未払枠が残つているので、これを「死亡に至るまでの傷害による損害」の支払にあてることを求めているのである。

按ずるに、自賠法施行令第二条第一項第一号が死亡した者について前記イ、ロの区別を設けたのは、昭和三九年政令第八号による改正(昭和三九年二月一日施行)によつてであり、それまではイ、ロの区別はなかつた。右区別を設けたのは、死亡に至るまでの長期間病床に居る者にも十分な手当を行なえるようにするためであると説明されており、ちなみに、それまでの死亡の場合の保険金五〇万円であつたものを、右改正により「死亡による損害」につき一〇〇万円、「死亡に至るまでの傷害による損害」につき金三〇万円とかなり増額している。

当裁判所は、右イ、ロを区別して保険金額を定めた趣旨に鑑みれば、原告主張のような解釈は到底無理であり、保険会社としては損害を右イ、ロに分け各保険金額の範囲内において支払義務を負うものと解するほかないと考える。

もつとも、右のように解すると、「死亡による損害」が保険金額に満たず、かつ「死亡に至るまでの傷害による損害」が保険金額を超過する場合に被害者の救済が全うされないという指摘もでてくるかと思われる。しかし、医療の高度化に伴う治療費の高額化等に照らして、傷害による損害の保険金額が適切に決められているかという点の立法論的な批判はできるにしても、そのことから原告主張のような解釈を採用することはできない。また、原告は、訴訟物理論との関連にも言及するが、保険の適用を一個の訴訟物の一部に限定しても直ちに違法になるわけではなく、そもそも訴訟物理論と保険の適用とは同一レベルの問題といえないから、原告の右主張も失当である。

したがつて、原告の主張する損害項目及び損害額を前提にする限り、本件において自賠責保険金の支払を求め得る余地はない。

三  よつて、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 武田聿弘)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例